鳥の詩(うた)

 「チッ、チッ、チッ、チッ…」、小刻みに、そして休みなく鳴き続ける小鳥の声で目が覚めました。鳴き声は次第に高まり、ついには耳をつんざくまでに迫ってきました。それで思わず寝床から起き上がったのですが、とはいっても頭はボォーとして重苦しく、首から肩の筋が張っていて、起床時のすっきり感はまったくありません。高血圧の症状がまだ続いているからかも知れません。あるいは朝夕に欠かさず飲んでいる薬のせいでしょうか。

実はこの間、私は病の渦中におりました。ひと月ほど前に血圧が急上昇して以来、頭痛やなどの症状が続いています。睡眠も上手くとれず、夜中に何度も悪夢にうなされるなど、気持も身体も沈みがちな日々を送っているのです。今は青葉若葉が茂るさわやかな時節だというのに、それとは裏腹に今朝の気分はうとましく、庭の木に群れて鳴き止まぬ小鳥の声がわずらわしく思います。

 

 思えば父が亡くなった後、自宅の庭先に沢山の鳥たちがやってきて、しばらくの間、鳴き叫んでいたことが思い起こされます。いったい何事が起きたのだろう? はじめは誰かが我が家へ訪れ、それで鳥たちが騒いでいるのだと思いました。でも、そうではありません。名も知れない鳥たちが群れを成し庭木の枝という枝に留まり、盛んに鳴き散らしています。雀よりもひと回り大きいに似ていましたが、はっきりとは判りません。長い口ばしを大きく開けて、頭を左右、上下に振りながら「ビィー、ビィー」と鳴き声はけたたましく、羽音もかなり響かせて家の周りを飛び交っていたのです。その時、私は、

「もしかして…父かも知れない。ならば、この群れの中に居るかも?」

 七日前に急逝した父が、まだ昇天していない亡霊たちを伴い舞い戻ってきた、と直感しました。そこで私は、鳥たちに小声で訊ねました。

「父さんだね。どこにいるの?」

 すると鳥たちは瞬時、鳴き止んだかと思うと、庭の外れののに留まっていた一羽の鳥が、「ギィ、ギィ」と太く低い声で鳴いたのです。でも、それだけでした。鳥たちはしばらく鳴き続けていましたが、やがて一斉に羽音を立てて飛び去っていきました。いったい何が起きたのか? ほんとうに沢山の鳥たちがやってきたのかどうか、あるいはまた、それは朝方の浅い眠りの中でみた夢だったのか、今でもはっきり覚えていません。なにしろ当時の私は、自宅で執り行った三日三晩の葬儀を済ませ相当に疲れていて、身の回りで起きていることがやや虚ろに感じる精神状態でしたから。

 

 それから四十年余り経って、私は亡くなった父の年齢を二十歳ほど上回る老齢の身となりました。そして今、脳梗塞で倒れた父と似た血圧の病に陥り、薫風が吹きそよぐ五月の季節を迎えても気分は終日、重々しく、シーズン盛りの農作業も思うようにはかどりません。どうやら七十年余り生きてきた人生の疲れが出てきたかのようで、おのずと老化の領域に踏み込んだのでしょう。だから生命の危機も、ある日ある時、訪れるであろうことは覚悟しなければなりません。でも明日を夢見る生活を捨てたわけではなく、早死にした父の分も生きたいと願っていますし、それに今年で七回忌を迎える母を供養するためにも、今は気持をしっかり立て直さねば、と思っています。

 やがて梅雨に入り、厚い黒雲が立ち籠める日々が続いた後、今日は久し振りに空が青く澄み渡る五月晴れの日となりました。雨の日は特に頭が締め付けられますが、朝からそんな様子もなく、良き天候に気持もすっきり洗われる思いです。農園は昨日までの雨で畑の土や草もすっかり濡れていましたが、この季節、毎年、栽培しているは、その蔓を一面に延ばし青々と大きな葉を広げています。やなどの夏野菜も順調に育っており、遅まきながらオクラも芽を吹き出しました。

 そんな畑に佇んでいると、鳥たちの鳴き声も快く私の胸に響いてきます。畑の南側の竹薮ではが、ほとんど定位置で「ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ」と、いつもの調子で元気良く鳴いています。かたや東側の森の中で鳴くは、最初は定番通り「トッキョ、キョカキョク、キョカキョクチョウ=特許許可局許可局長」と鳴き出すのですが、次第に声に張りが出てきて「ゲンキンダ、ゲンキンダ=現金だ」、そのうち早鳴きとなって「ケッキンシャ、ケッキンシャ=欠勤者」と鳴き叫んでいるようです。そのように聞こえるのは私だけかも知れませんが…。

 

 いろいろな鳥たちの鳴き声を耳にしながら畑の小屋の前で作業していると、ふっと、収穫を終え土が露わになったの畑の真ん中に、じっとうずくまったまま身動きひとつしないが一羽、目に留まりました。でも山鳩が畑地に降りてきて、土中の虫などを食べているのは珍しいことではありません。あえて私は気に止めることなく、やなど農機具の手入れを続けていました。

 そしてまた、しばらく経って畑の方を見やると、山鳩は同じ場所にうずくまり、小さな首をややこちらに向けています。「どうかしたのだろうか?」と思い山鳩の様子を窺っていたその瞬間、思わず私は胸の内で声を発しました。

「なんだ! 母さんか。そんな処で何をしているの?」

 山鳩はやや首を傾げたようですが、やはり黙ったまま同じ格好でうずくまっています。私はまた声にもならぬ声で、その山鳩に向かって訊ねました。それはもう、その山鳩こそ間違いなく、六年前に亡くなった母だと確信したからです。すると、しばらく合間を置いて、山鳩は応えました。

「お前がどうしているか、見にきたのだよ」

 いえ、山鳩が声を発したわけではありません。でも明らかに、その山鳩は私に向かって語っており、その声はしかと、生前の母の声そのものでした。

「すると、今は父さんと一緒だね」

「いいえ、お父さんはもっと空の上。私もそろそろお父さんの居る処へ行くから…」

 それで母は私に会いに来たのだと思いました。亡くなった父を追って、母はさらに天上へ旅立とうとしているのかも知れません。

「じゃあ、もう会えないね」

 そう言うと、山鳩はコクリと小さな頭を下げたかのようです。生前、小柄な母は人の話を聞き分けると、やや俯き加減に軽くうなずく仕草をしましたが、山鳩もその母の仕草を真似るかのように項垂れました。

「僕もそのうち、そちらへ行くよ。でも、まだやることがあるから、すぐには行けないけれど…」

 母は黙ったまま、しばらくじっとして動きません。でも、やがて頭をもたげると「ほろほろ」、一声を発したかと思うと羽音を鳴らし、さっと舞いあがったのです。そして空の高みでくるりと旋回した後、手前の笹竹の群れを飛び越え、さらに高く連なる杉の森の上を超え、やがて青空の彼方へと消えていきました。

あとには「ほろろ、ほろろ…」、山鳩の鳴き声だけが耳に残りました。畑はまた一層、静まり返ったかのようで、森から森へとそよ吹き渡る風の音だけが聞こえます。私は無口になってしまって、再び農機具の手入れや片付けを始めました。

 

 その数日後のことでした。「また山鳩に会えるかもしれない」などと思いつつ、馬鈴薯の畑へと足を踏み入れましたが、山鳩の姿はどこにも見当たりません。本当にあの森の上に広がる空の彼方へ行ってしまったのだろうか、二度とこの畑に舞い戻ることはないのだろうか…などと、思いをめぐらし草取りをしていると、ふっと目の前に、羽毛を大きく広げ巣を温めているメスのの姿が目に留まりました。

 温めているのは産んだ卵か、それとも生まれたばかりのなのか、判りませんが、巣から少しも動こうとせず、周囲の草むらと同じ保護色となって、静かにうずくまっております。とそのうち、「ケーン! ケーン!」、遠くで雉の鳴く声が聞こえました。きっとオスの雉が巣に近づいた私に気が付いて、赤色鮮やかなを振りふり、「人間がやってきた! キケンだ!」などと叫んでいるのでしょう。そこで私も小声で「ケン、ケン、お前と同じ仲間だよ。安心するがいい」、雉の鳴き真似をしながら、その場からそっと離れました。

 梅雨の時節、しばらく雨の日が続きましたが、一週間ほど経った雨上がりの朝、の収穫がてら畑へ出向きました。そして抜き足差し足、静かに雉の巣へ近づいてみたのですが、すでにメスの雉の姿はありません。ただ細かく割れた卵の殻が、巣の周りに散らばっているばかりでした。どうやら無事に孵化を終えたのでしょう。「ケン、ケーン、ケーン…」、大空の彼方から雉の親子たちの鳴き声が私の胸の中に響いてくるようで、いつしか頭痛の症状も晴れていく思いでした。