評論 review

サイクリングやマラソン、トライアスロンなどアスリートとして私が取り組んできたスポーツ、或いはオリンピックや組織、団体に関わる時節の諸問題について、スポーツ・ジャーナリストの立場からメッセージやコメントを、評論というよりも思いつくままエッセイ風に書き記したものです。

誰のための開催か? 東京2020オリパラ閉幕に寄せて

 

 パンディミックの嵐が吹き荒ぶ中、東京2020オリンピック・パラリンピックが開催され、8月5日に閉幕した。今年の春の段階では開催か、または中止か、あるいは開催しても無観客で行なうべきか、いろいろ意見が分かれていたが、閉幕した今日、世論調査結果によると、「開催して良かった」と答えた割合が6割以上にのぼっており、その点では組織委員会をはじめとした大会関係者が新型コロナ感染症対策で腐心した代償は得られたかも知れない。

 しかし問題は、あえてコロナ禍で、しかも無観客で実施したという点である。「実際に見なくても、テレビで見れるから、いいだろう」という説もあるけれど、それはスポーツのダイナミズムを基本的に知らない人の話に過ぎない。現にブルーインパルの飛行や、札幌で行ったマラソン、神奈川~静岡で展開した自転車のロードレースでは沿道に観客が溢れた。すなわち、有りのままを生で見たいという人々の願望の証である。「開催して良かった」という6割の人々は、実は57年前の第18回東京オリンピックを体験していない、いわば60歳以下の日本人6割強に相当する訳で、この点からしても、皆誰もがオリンピックを「目の当たりに見たい」と思っていたのだ。

 ちなみに、私は今回のオリパラをテレビやネットで観戦したのは、オリパラ双方の開会式のほか自転車競技(トラック&ロードレース)とトライアスロン、マラソンだけで、他の競技はひとつも見ていない。特に屋内競技などは観客の歓声が響かず、アナウンサーや解説者だけが喋り捲っている番組なぞ無味乾燥で飽き足らない、という思いがあったからだ。それでもパラリンピックの開会式には感銘を受けた。身体障碍者のパラリンピアというコンセプトに適った解りやすい演出と、出演者たちの熱烈たる演技には胸を打たれた。

 

 ともあれ東京オリパラが閉幕して、改めオリンピックは何のために、そして誰のために開催するのか? そのあり方が問われている。

 特にオリンピアは国や人種の垣根を超え世界に拓かれた平和と繁栄を象徴する一大スポーツイベントだが、それは取りも直さずアスリート並びに大会関係者たちだけのためでなく、ボランティアはもちろんスポンサーもプレスも、そして観戦者も、あまねく多くの人々が参画する祭典である。だが、今回の東京大会では観客が、その祭りの舞台から排除されたのだ。

 つまり祭典に集うべき者が限られ、IOC(国際オリンピック)を頂点とするスポーツ競技団体のためのイベントに終始したのである。それはIF(国際競技団体)が毎年、世界各地で開催する世界選手権やワールドカップなどと同じ類の、いわば競技会のスタイルと変わりない。それでも東京オリパラを敢行したのは、IOCや米国テレビネットワークNBCの事業(金儲け)戦略に基づいたものであり、それを日本の政権や東京都が「アスリート・ファースト」などと綺麗ごとを並べ立て体面を繕ったのである。

 IOCは今、その存続の瀬戸際に立たされている。世界にはIOCを解体すべきとの声もあれば、IOCのオリンピック開催権を買収しようという機運もある。米国をはじめとする企業がIOCを乗っ取ろうというビジネス戦争の渦中にあるのだ。そうした動きに対しIOCはピエール・ド・クーベルタン男爵以来の名誉と誇り、イベント・プロモーターとしての権威を保持し続けようとしている。こうしたIOCをはじめとするビジネス商戦の構図は、来年の北京冬季五輪、そして3年後のパリ夏季五輪の開催プロセスにおいても垣間見ることができるだろう。

 だが、今回の東京オリパラのように、登場すべき役者が全員揃わないお祭は、二度と開くべきではない。

<2021年9月 PostPrimeに掲載>


魂を揺さぶってください

 

運動を行うということは、身体を動かすということにほかなりませんが、

実は、自分の身体の中に宿っている「魂」を揺さぶることでもあるのです。

たとえば、運動体としてもっとも単純なジョギングを想定してみてください。

はじめは手足を、ついで五体全体をゆっくりと動かしていってみます。

そうして徐々に自分のペースで走り出していくと、

やがて身体は自然にリズムをきざみ始めることでしょう。

そのうち気分も心も軽やかになって、走っていることが苦しみではなく、

楽しさや喜びに変わっていることに気がつきます。

そして、走っている自分と、もう一人の自分がいることを認識します。

 実は、そのもう一人の自分こそ、

自分自身の身体の中に宿っている「魂」と考えてよいでしょう。

その魂が、運動によって揺り動かされ、「楽しい、嬉しい」と感じているのです。

すなわち、運動とは身体を動かすことですが、

同時に運動とは、自分の身体の奥底で眠っていた「魂」を揺り動かし、

 その結果、起きあがった自分の「魂」と出会うことにほかなりません。


リオ・トライアスロン雑感

 

リオデジャネイロ・オリンピックのトライアスロン競技について感想を求められたので、思いつくままを述べてみる。日本人選手4名はそれぞれ健闘し、なかでも女子で15位となった佐藤優香(以下、敬称略)はバイクまでよく頑張ったが、最後のランでトップから4分も離されてしまった。4分というと400mトラックで3周回近く、距離にして1km以上離された勘定になる。今回のリオの結末を見て改め感じたのは、オリンピック・ディスタンスという51.5Kmのトライアスロンは、日本人にとって容易に勝てる競技モデルではないということだ。

トライアスロンがオリンピックの正式種目になったのは2000年のシドニー大会からのことだが、その大会の結果を見て、実は「向こう20年以上、日本人がメダルを獲ることはないだろう」と私は思った。何故ならば、この競技はスイム、バイク、ランという3種目を連続して行うトライアスロンではあるが、バイクのドラフティング・ルールを適用しない競技形態の観点から察して、勝負は最後のランで決せられる要素が極めて高いからだ。

その点で陸上競技の中距離走に秀でたアスリートが優位となるが、残念ながらシドニー以来、そのような日本人選手は数少なく、私の知る限り、世界のトップレベルで最後のランまで戦えたのは往年のチャンピオンである中山俊行や山本光宏、小原 工、福井英郎くらいではないか。あるいは51.5Kmタイプのランでは切れのある走りを見せていたのは中込英夫だった。私は密かに中込の才能を感じ取っていたが、残念ながらその当時、彼をトータルで世界レベルに引き上げていく指導体制も情況もなかったことが惜しまれる。

その頃、ロング・ディスタンスのアイアンマン・シリーズで世界のトップレベルと戦い輝かしい成績を残していた宮塚英也は、私にこう話している。「アウィータの走りには魅了されます。走りとは、アウィータのようでなければならない」と。そう、モロッコのサイド・アウィータは、1800年代の世界の陸上中距離競技(1、500m~5,000m)で世界新記録を次々と樹立していった中距離のスペシャリストであり、1984年のロス五輪5,000メートルでは金メダルを獲得した。いつもグリーンのランウェアでトラックに登場し、ラスト・スパートでは他の選手を寄せ付けない、まるで空中を走るが如く風のようにゴールラインを駆け抜けた美しいランニング・フォームは、今でも忘れられない。

さらに宮塚は、こうも言った。「足を引きずるような我々の走りでは、世界に敵わない」と。つまり宮塚は、中距離走の走りが出来ていない限り51.5Kmのトライアスロンで世界と戦うことは出来ない、ということを暗に悟っていたのだろう。確かに、シドニー以降のオリンピックやワールドカップで歴代のトップレベルが私達に見せつけたのは、最後の種目であるランでのシャープな走りである。

はじめに「オリンピックでメダル獲得が実現することは、向こう20年以上はないだろう」と書いたが、その私の予想が外れて、来るべき2020年東京オリンピックの舞台で日本の選手が活躍してくれることを期待したい。そのためには陸上1万メートルを男子ならば30分台、女子は33分台で走る能力を養う必要があるだろう。

 

それにしても、オリンピック・ディスタンスと称する51.5kmのトライアスロンを世界も日本も一体、いつまで続けていくのだろうか? そのレースの意味と効用は何か? 一方でシドニー以来、続けてきた51.5 kmトライアスロンの普及の影で、有能なトライアスリートが数多く埋もれてきたことも、トライアスロンの将来を展望するうえで考えなくてはならないと思う。

そんなあれこれ思いつくことを、例えば「トライアスロンの真髄・その要素と展開方向」、「トライアスロンの大会・組織の成り立ちと変革の視点」などといった話を『日本トライアスロン考』と題し、近々、立ち上げる自身のホームページで語ってみたい。

 <2016年9月 facebookに掲載>


どんぶり飯~新国立競技場の建造を巡って

 

先日、所要で東京へ出掛けた際、明治神宮外苑の一角にある「国立霞ヶ丘陸上競技場」へ足を運びました。通称「国立競技場」と称するこの施設は、1958年に開催されたアジア競技大会の会場として使われ、その7年後の1964年には東京オリンピックのメイン・スタジアムとなり、その後も数々の陸上競技やサッカー、ラグビーなど国際試合の本拠地として、わが国スポーツの歴史を刻んできました。

しかし、この殿堂は今や跡形もなく、瓦礫の処理処分で何台ものクレーン車やブルドーザーが作動し、かつダンプが、かつての正門から入れ替わり立ち代わり出入りしていました。私が長距離ランナーとしてスポーツを始めた頃に建造された同競技場ですが、まさしく57年の歳月を経て、私の眼前から姿を消していたのです。

解体現場のフェンス沿いを歩んでいくと、やがてこの跡地に建設しようとする2020年東京オリンピック・スタジアムに係る工事看板が張り付けられていました。それには今年10月に着工して、2019年3月に完成させる「新国立競技場」の工事概要が表示されています。

この「新国立競技場」を巡って現在、様々な問題が提起され論争がなされています。どれも傾聴に値する意見ですが、その多くが「どのような施設を造るか」という、いわば箱物の姿形や経費について終始しています。なかには「日本のスポーツの殿堂に相応しいレガシー(遺産)となるよう、後世に残るべく施設を造って欲しい」などとの声も聞こえます。ご意見はもっともですが、ではどのようなコンセプトで、いかなるものを建造するのか? となると曖昧、抽象的です。

そもそも箱物を造り、それをどう利用していくか、といった議論が充分になされていないから、意見も議論も迷走するのでしょう。そこで、私は思います。レガシーは「造る」ものではなく「創る」ものである、ということを。

例えば、フランス・パリのエッフェル塔やエトワールの凱旋門、そしてマロニエの並木道シャンゼリゼ通りなどセーヌ河畔は誰もが知る世界遺産であり、世界の多くの人々がその美しい風情を賞賛しています。だが、このパリの風景は単に姿形に留まらず、地元のパリ市民の憩いの場、散策の道として愛され続けてきた長い生活文化が刻み込まれていますし、あるいはシャンゼリゼ通りは、世界のサイクリストの精鋭らが最終ゴールを目指す“ツール・ド・フランス”のファイナル・ステージとして40年間の歴史を刻んできています。つまり年代を重ねパリジャンはもとより世界の人々が培ってきた伝統文化がそこにあるからこそ、レガシーとして息づいているのです。

この観点で申せば、箱物など構造物を造れば、すなわちレガシーとなる訳ではないことは明白です。造った箱物を有意義に活用し、大切に維持管理し、後世にわたって数多くの人々に愛されかつ評価されてこそ、遺産に相応しい施設となり風物となります。ですから、造る前から奇抜なアイデアを連発しても、あるいは採算効率を念頭に何度も算盤を弾いたところで、答が出る筈がないのです。

すでに解体されましたが「国立霞ヶ丘競技場」は東京オリンピックから半世紀を経て、日本の多くのアスリート達を育んできました。特に陸上競技選手達の多くは、ここで育てられ成長を遂げてきたといって良いでしょう。いわば同競技場はアスリート達にとって「どんぶり」という器です。その「どんぶり」に盛られた飯(めし)を食べて成長してきたのです。

ですから、これから造る「新国立競技場」も多くのアスリートを育む「どんぶり」の機能を十二分に備えた器とするべきでしょう。しかし、ただ「どんぶり」といっても、伊万里や九谷といった高級な焼き物にこだわる必要はありません。瀬戸や益子といった庶民的な焼き物で充分です。

要は治安・防災・環境対策が完璧に施され、そこに集まる選手・役員・観客ら人々の移動と行為が容易に展開される、機能的に優れた「どんぶり」であれさえすれば、見栄え見てくれは二の次、三の次です。大切なことは「どんぶり」の中に盛る飯であり、それを食べて育っていく、永い歴史に彩られたスポーツ文化の総体そのものなのです。

<2015年8月 facebookに掲載


「体育の日」に寄せて~トライアスロン所感

 

今日10月10日は旧「体育の日」で、1964年に第18回東京オリンピックが開幕した日でもあります。当日、東京・千駄ヶ谷の国立競技場で開会式が行われている頃、自宅の庭先から自衛隊の飛行機が煙を噴き出し、秋晴れの青い空に五色の輪を描いていたのを思い出します。私は高校3年生で勉学に追われていたこともあり、オリンピック競技を観戦する機会がまったくなく、唯一、ゴールへとひた走る男子マラソン選手を神宮外苑の道端で眺めただけでした。

あれから半世紀を経て、あと6年後に再び東京オリンピックが開催される運びとなりました。昨年のIOC総会で開催が決定してから早くも1年が経ちましたが、関係各方面では開催に向けた取り組みが本格化しています。トライアスロンについても組織委員会並びにJOCなど関係各方面で東京開催に向けた検討が重ねられており、このface bookに登場されるJTU(日本トライアスロン連合)強化メンバーの皆さんも、6年後をターゲットとした選手の育成に奔走されているようです。

また、トライアスロン開催の舞台は東京・お台場周辺が想定されていましたが、環境や保安などの問題もあって、同じ東京でも伊豆諸島の三宅島か、それとも横浜・山下公園での開催案が提起されています。しかし、東京から170km余の海上にある離島での開催は海上輸送とともに雄山(おやま)の火山噴火などのリスク要因も無視できず、実現は容易ではないでしょう。おそらく横浜での開催で決着をみることになると思われますが、ともあれ、トライアスロンのロケーションとして最適な素晴らし大会開催を望んでいます。

ところで、トライアスロンは2000年のシドニー・オリンピックで五輪デビューした訳ですが、すでに4回のオリンピックを経験し、次のブラジルを経て2020年の東京では6回目の開催となります。これまでもITU(国際トライアスロン連合)のルールに基づき競技運営が図られてきましたが、そろそろ競技ルールだけでなく、競技の形態や運営方法など、トライアスロンのあり方そのものをいま一度、点検しても良いのではないかと思っています。

例えば、競技距離について3種目の総距離51.5kmではなく、halfあるいはquarterと極端に距離を短縮して、その2セットないし3セット行い、かつそのうちの1セットは個人タイム・トライアルで実施するとか、いろいろな競技形態を模索し、よりInterestingでExcitingなゲームに仕立ててみるのも一策です。

かつてトライアスロンは過酷なスポーツと言われ、実際、競技距離もアイアンマン・シリーズのようにロング・ディスタンスが主流でしたが、現在のオリンピック競技や国際大会を見る限り、トライアスロンは少しも過酷ではなく、51.5kmならば誰でも入門、挑戦できるスポーツに変容しているからです。ですから競技距離を短縮化することよって、多くの青少年にも参加の門戸が開かれれば、競技の普及と高度化を促進することにも繋がるでしょう。

しかし、その一方でオリンピック・ディスタンスでは満足しないトライアスリート群が数多く潜在するのも事実で、特に生涯スポーツとして取り組んでいるアスリートは競技距離のミドル化・ロング化を強く求めています。つまりオリンピックを頂点とするエリート選手達のトライアスロンはより短距離化への道を模索しつつ、一般のトライアスリートに対しては長距離志向の大会開催を促していくべきではないかと考えます。

こうした競技志向の流れが、2020年東京オリンピック開催の過程で模索され、それによって多様なアスリート達のニーズを満たしつつ、トライアスロンの世界へと導かれることを願っております。

<2014年10月 facebookに掲載


トライアスロンは人類の進化を表現している?

 

サンディエゴの海岸では、必ずしもスイム~バイク~ランの順番で競技を行っていたわけではない。ランが最初の種目で、次にバイク~スイム、さらにランという順番で競っていたという説もある。

やはり今日のスイム~バイク~ランというトライアスロンの原型(順番)が確立されたのは、ハワイ・アイアンマン大会でのことだ。とはいうもの、ではなぜスイム~バイク~ランなのか? 残念ながら、この3種目の順番を定めた理由は定かではない。競技の安全性を確保するためとか、運動生理学的にスイム~バイク~ランが最善など、諸説はいくらでもあるが、それは後世の私たちの考えに過ぎない。

私が知りたいのは、サンディエゴやハワイのアスリート達が、3種目の順番を決めた根拠だ。しかし、それは知る由もないので、私はよく人に聞かれたとき、次のように答えている。すなわち「トライアスロンは人間の進化の姿を描いています」と。

30数億年前の地球は、海が3分の1の面積を占めていたという。その海から生命体(バクテリア)が誕生し、やがて大陸へと上がっていった。それから生命体のうちのひとつから人類が発生し、やがて原野を走り抜け、森林の高い樹木の上を住家とした。そして今から約400万年前、人類は安全な大陸の上で直立二足歩行を始めた。

この海から陸へ上がり、二本の脚で歩むという過程こそ、まさしく人類の進化そのものであり、すなわちトライアスロンの姿なのだと??

<日本トライアスロン物語序章その1~トライアスロン談義 2003年3月Tri-Xに掲載>


トライアスロンのオリンピック種目決定に思う

 

フランスの首都パリで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)の総会で、6年後に開かれるシドニー・オリンピック大会の新種目としてトライアスロンとテコンドーの2競技を追加することが承認された。3日の理事会決定を踏まえて、総会では委員88人のうち86人が賛成票を投じ、圧倒的多数で正式決定したものだ。

世界的なレベルでトライアスロンおよびデュアスロンの大会が開催され、競技参加者の増大と愛好の増進が図られ、かつまた競技者の育成と組織の整備が図られようとしているこの機に、トライアスロンがオリンピック競技種目として正式に認められた意義は大きい。その意義とは、トライアスロンがワールドワイドなスポーツとして認められ、ともすれば特定の限られた人々だけが参加する異端なスポーツとしてのイメージが払拭されるであろうからだ。その意味で今回のオリンピック・ファミリーへの参加決定は、トライアスロンが社会的認知を得る大きなきっかけをつくることになるだろう。

しかし、その一方で、トライアスロンがオリンピック種目になることによって、多くの課題と問題を背負ったことも否定できない。オリンピック種目ともなれば、とかく競技志向だけが一方的に強まって老若男女、誰もが楽しめる生涯スポーツとしてのトライアスロンの遊戯性が失われ、いわゆる一般愛好者たちのトライアスロン離れが起きることだって考えられる。なぜならば、トライアスロンがサンディエゴの海岸で行われていた頃は、アスリートの仲間同士がミニ大会を開いて楽しむ無邪気な遊び(戯れ)のようなものであったし、かつてハワイ・アイアンマン大会は未知の世界にチャレンジする冒険であった。そうしたトライアスロンがもっている遊びであり冒険の精神は、今もなお多くのトライアスリートの心の中に脈脈と生き続けているし、3種目の競技を大自然を舞台にして行うワイルド(野生的)な味わいがトライアスロンの大きな魅力になっていることも事実だ。

こうしたトライアスロンがもつ性格を理解したうえで、果たしてトライアスロンが1分1秒を争うスポーツ競技として成立するかどうか、そのための条件を満たしているかどうかを改めて考え直す必要があるだろう。たとえば、なぜ51.5キロなのか? 競技フィールドは各大会とも競技が行われるのに相応しい整合性を保っているかどうかなど、競技規則や施行方法、大会運営などに関し、世界のトライアスリートが納得する普遍的なルールと倫理を確立する必要がある。

また、これらの課題については、日本にあってはJTU(日本トライアスロン連合)が今後、解決してくれるであろうが、そのためにもJTUはより多くの有能な知恵の結集を図る必要があるだろう。さらにJTUは自らの組織基盤を強化して、JASA(日本体育協会)ならびにJOC(日本オリンピック委員会)への加盟と財団法人化を実現し、名実ともに日本を代表するナショナルガバニングボディとして社会的認知を得て、わが国トライアスロンの普及、発展のための取り組みを展開しなければならない。 そして、トライアスロンがオリンピック種目になることによってもっとも危倶されることは、オリンピックを商売のタネに大会や競技選手たちが金銭によって買収されるなどトライアスロンが食い物され、アマチュアスポーツ精神が切り崩されることだ。それでなくてもトライアスロン・スポーツの周囲には「普及・発展」の名を借りたビジネスが群れ集まっているぐらいだから、オリンピックと聞いて触手を動かさないマーチャント(商人)はいないだろう。 だから私たちは、アマチュアスポーツの精神に反してコマーシャリズムが土足で介入してくることを断固として跳ね付けなければならないし、またそれによって特異的で特権的な階層の出現を生み出さないよう監視していく必要がある。トライアスロン・ビジネスを行う企業、団体、個人等は、あくまで大所高所の観点からトライアスロンを支援し、トライアスロンの普及と発展のために協賛してくれることを期待するものである。

そしてまた私たちは、トライアスロンとは何か? そのフィロソフィ(哲学)を明示する必要性を痛切に感じる。かつてトライアスロン大会の開催と参加に哲学は必要がないとの意見を聞いた。しかし、私はそうは思わない。スポーツにフィロソフィーがなくて、起こり得るであろう生命の危機やスポーツのモラルや個人の尊厳を、一体どのように守っていくというのであろうか? 

トライアスロンは世界万民のためにある。少なくともトライアスロンがオリンピック種目に決まったことで、トライアスロンは世界に羽ばたくスポーツとして認められ、位置づけられた。そのために日本のトライアスリートならびにトライアスロン関係者は総力をあげてトライアスロンの拡大、発展のために何をなすべきかを考えるべきであろう。

<トライアスロン・ジャパン誌1994年11月号に掲載>