随筆 essay

 

私生活の中で見たり聞いたりした由無しことを、折に触れて書き留めたり。

我が家の庭に咲く一本の山桜~今年もよく咲いた
我が家の庭に咲く一本の山桜~今年もよく咲いた

      新元号“令和”を問う

 ~ナショナリズムの蒙昧~ 

 

     敷島の大和心を人問はば

       朝日に匂ふ山桜花

 

 桜の花が咲く頃になると、江戸時代に『古事記伝』をはじめとする古代国学書を著した本居宣長の、この有名な和歌が私の脳裏に浮かんでくる。私流にこの歌を解釈すると、「古来より受け継がれてきた日本の精神、その心とは、差し昇る朝陽に染まって清く輝く美麗な山桜の花のごとくである」といったところか。“大和心”の意味や解釈に意見が分かれるところだが、宣長が意図したのは、清廉潔白で敬愛の情に満ち「もののあわれ」を感得する日本人の魂そのものではなかろうか。

   しかし、日本人の魂だからといって、後日の武士や軍人たちが抱いた国粋、愛国の情ではなく、決して「大和魂」ではない。日清、日露に始まり大東亜共栄圏の構想を描いて戦った第2次世界大戦の過中で、戦闘のために鼓舞された御旗の印としての大和魂ではない。論語にある「礼の用は和を貴しとなす」ごとき、礼節をわきまえ優しく穏やかな気心こそ、日本人の胸に宿る大和魂の本義があると考える。やたら国粋、愛国と称して、日本並びに日本人の有意性を説く保守派層(ナショナリスト)の言動を顧みるとき、改めて「朝日に匂ふ」優美な心から逸脱して「大和心」が政策的、利害的に利用されているように覚えるのは、私だけではあるまい。

 

 さて、このたびの天皇退位に伴う新元号の命名については、我が日本の古き良き伝統と精神を抑揚、誇示せんとする保守派層が声高に、日本の古典である「国書」からの選定を強調した。政治家をはじめ現政権に右へならえの学者や文化人、ジャーナリズムの輩で、その代表者である安倍内閣総理大臣は新元号「令和」の意味について、記者会見の冒頭で「国民の理想として相応しい、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ意味が込められている」と述べている。

 ほとんど支離滅裂な解釈である。「国民の理想として相応しい」とは何を指すのか? 理解しがたいし、「人々が美しく心を寄せ合う」ことで「文化が生まれ育つ」のか? 意味不明である。安倍総理の発言は「令和」の意味を解いているとは思えないし、言葉が持つ雰囲気(ニュアンス)を説明したとしても、余りにも辻褄が合わない表現で「令和」を意味付けている。

 

 「令和」の「令」という文字は二つの文字が合わさった形声文字だが、そもそも古い字形は「帽子を被り、人が跪いた姿」の象形文字である。漢文学を専門とする私の友人に聞いたところ、帽子を被って跪(ひざまず)き天子や君子の命令、指令を承る字形が「令」で、古代中国の『金文』や『甲骨文』の研究に生涯を捧げた立命館大学教授の白川 静先生の説だと言う。すなわち「令」の一文字が意味するところは、跪いて上司の意向を恭しく拝受、拝命する下士の姿を連想する。

 「令」は、あくまで法令という掟(おきて)であり、教えや言いつけである。上から下の者への命令であり、その「令」が「和」と合体したならば、「希望に満ち溢れた力強い日本の将来」が約束されるかのような勝手な解釈は到底、受け入れられない。今回の新たな元号の選定経緯と結果について多くの日本人から好評を得ているようだが、何よりも重要なことは元号選定の基本的な考え方(スタンス)と、その手続き(プロセス)であり、その観点から評価をしなければならない。

 

 「令和」は国書である万葉集から引用したというが、それは漢文で記された和歌の詞書(ことばがき=序)の中の二文字を単に採取(ピックアップ)したに過ぎない。すなわち万葉集巻五「梅花の歌三十二首」と題した序にある「干時、初春令月、氣淑風和=時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ」という文節の中から「令と和」を拾い出した。万葉集の長歌や短歌はすべて万葉仮名で書かれているが、この詞書は文字通り漢文体であり、しかもこの詞書の全文の文章構成は王羲之の『蘭亭集序』や唐詩の詩序を真似たものである。

 にもかかわらず国書からの選定と強調する国粋、愛国の輩の情念、ナショナリストたちの他愛のない拘りように、改めて失笑せざるを得ない。そもそも日本の古典である国書といっても、古事記も日本書紀も懐風藻も基本は漢文体で記されており、その後、江戸時代を経て近代に至るまで四書五経をはじめとした中国の古典(漢籍)が我が国の知識階層の文化、教養を養ってきたのだ。

 あえて漢籍から元号の名を選定しなくても結構だが、だからと言って国書から選んだ意義を必要以上に強調する風潮に、万葉学の一端をかじった者の一人として違和感を覚えざるを得ない。そもそも私たち日本人は古代から漢字を学び、さらに中国の文学、儒教や仏教などの教えを取り込みつつ、今日の精神文化を築いてきたことに思いを致すべきであろう。

 その観点で申せば、国書と漢籍の隔たりなどない。中途半端な愛国精神、本質に迫ることなくご都合主義の為政者たちの浅知恵で、事を計ってはならない。改元された次の時代が易きに流れることなく、質実剛健な国家体系の基に大和心が発揚された清く優しい国として繁栄していくことを祈ってやまない。

<2019年5月1日 執筆>

 

 

     国会議事堂と霞が関界隈
     国会議事堂と霞が関界隈

日本人“村”の精神構造

 

 21世紀の人類の(日本人の)繁栄を求めようとする模索が今,さまざまな視点や立場に基づき進められている。であるならば,私たちの生存と生活を保証する社会制度のあり方や運用等について見直すとともに,旧来の価値観から脱却して,日本人の精神構造を新しい体系に組み替えていく必要があるだろう。その脱却が,果たして私たち日本人にできるだろうか?

 

 折りしも現在の第2次安部政権下において、政治家と官僚の癒着構造とその揺らぎ,政治と行政との間に横たわる溝の深さを垣間見る事件が表沙汰となり、連日のように報道されている。財務省をはじめ文部科学省、防衛庁など中央官僚のセクハラ疑惑や文書改ざん、隠ぺいといった公的立場にある役人たちの違反行為である。

 どれも眉をしかめるような行為だが、なかでも私が注視したことは、マスコミからセクハラ容疑で訴えられた財務省事務次官の福田淳一氏が辞任を決意した記者会見で述べたことである。要約すれば「自分たち公務員は国民から預かった税金を適切に取り扱う管理者であり、この管理者のシステムを今後とも崩壊させることなく存続させていくべきだ」との趣旨だったと思う。

 つまり、現存の公務員制度ならびにその機能と効用が国民の負託に応えていく唯一の手法であると強調したのだ。確かにその通り否定し難いとも思うが、しかし、退職する人間が改めて現行のシステムの重要性を語ったということは、何を意味するのか? やはり明治の新政府が擁立されて以来、大きな敗北を噛締めた戦争を経ても、その岩盤が崩落することなく今日まで生き続けてきた中央官庁の組織と仕組みこそが、日本国民及びその社会を支えてきたという誇りを、かの事務次官は訴えたかったのではあるまいか。

 すなわち、財務事務次官だけに留まらず、中央省庁のエリート官僚たちの多くは自ずとそうしたプライドを持って日々、活動しているのであろう。政治家に少々、脅かされようとも、或いは理不尽な命令に従っていたとしても、彼らは常にエリートたる意識と誇りを胸に抱いてきたのであろう。それ故、彼らは真実の多くを語ろうとせず、また時として事実をも隠そうとするのだ。

 今から20年余りも前の話だが、私たち日本人が背負った宿命を象徴するかのような事件があった。それは科学技術庁長官である田中真紀子氏が同庁の官房長である新(あたらし)欣樹氏を,「庁内の打ち合わせにおいて不適切な発言があった」として、事実上の更迭を行ったことである。不適切な発言とは,村山内閣が推進する行政改革に係わる特殊法人の見直しに関し,新氏は「行政機構は天下の公器であり,そのときどきの大臣の私物ではない」と語ったことだ。発言の真意を外野にいる私たちは十分,推し量ることはできないが,それにしても“天下の公器”とはばからず断言した新氏に,わが国行政の中軸を担うエリート官僚の高邁さを感じるのは私だけではあるまい。

 

“天下の公器”論と同じ例えに「○○大学△△学部にあらずば人間にあらず」という言葉がある。確かにこの大学のこの学部の学徒は頭脳明晰であり,社会にあっても官僚をはじめ各種団体,企業において重要な職責と地位を担い,その多くが日本社会の進路について多大な影響力を担っている人達である。しかも,この学閥,門徒は相互に密な人脈を活かして,就職、婚姻,立身出世といった現世利益の受容についても,常に優位な立場を確保している。

 こうした相互扶助,相互利益の関係づくりは,ひとり○○大学△△学部ばかりでなく,わが国の政治,経済,文化,教育,スポーツ,それら日本社会全体で展開されており,あげくに利権と特権が逆巻く現世利益追及型の小市民社会を形成しているともいえよう。その典型的な例証が政治へ介入しようとする信仰宗教であったり,伝統的世界においては粗雑な筆跡でも師匠の推薦ひとつで××展に入賞してしまう芸術? であったりもする。

 

 思うに,これら小市民的な閉鎖性社会は,日本人が農耕社会において営々と築いてきた“村”という社会制度,そのなかで養われてきた価値観によって構築されたものと考える。村にあっては皆、仲良く利権を享受し合い,異端な者あれば,これを“村八分”にて排除する。もちろん隣村とは水争いをして一切,妥協を許さない。この日本人の“村”的な精神構造そのものが,現代社会においてあらゆる閥とか族と名付くグループ・ネットワークを形成しているといっても過言でない。

 しかしながら,世界に開かれた日本社会の創造と21世紀に生きる国際的な日本人として相応しい成長を遂げていくためには,私たち日本人の尾底骨ともいうべき今日まで温存してきた“村”的な精神構造,それによる悪弊を切り捨てなければならない。

 天下の公器が閥や族に独占されないためにも,それらエリート官僚と称されるestablishment(支配階級・組織)を現世利益の追及に奔走させないためにも,あらゆるジャンルで制度の見直しと開放を行う必要があるだろう。そしてまた,天下の公器を時代の姿にあった自立したクリーンな器に転換し,国民が政治や行政に参画しやすい環境をつくるべきではなかろうか。

 

 言うまでもないが,官僚は行政の企画立案,執行を司る官吏であって,それ以上でもそれ以下のものでもない。天下の公器は公器として見事にその機能を発揮し,役割をまっとうすればよいだろう。かたや政治の側は,官僚によって個別,具体的に企画立案された政策課題等について,国家の大系と国民ニーズの視点に立った施策を実践していくことが何よりも優先される。政治の責任は官僚の管理,統制ではなく,あくまで国民の願望を叶えるための国家大系を見据えた政策遂行にある。だからこそ政治家は,企業保護など特定の利益を図るために、官僚を巻き込んで利権に奔走する族議員に堕落してはならないのだ。

 そして私たち日本人は,今日の仲間意識を重んじる閉鎖的な社会制度,その仕組みと構造を根絶していく勇気を持つことこそが,21世紀という次世代に立ち向かう日本人の創造精神の基本エネルギーになると信じる。

<2018年4月 執筆>

 

地の神の声がする

 

  どこまでも透明な海の底は一面、青緑色に染まり、真っ白な砂に敷き詰められた浜辺には漣(さざなみ)の音が聞えるばかり。青空から降りそそぐ柔らかな陽光に小波がキラキラと光り輝いていました。わずか百メートルほどの幅狭い浜辺の波打ち際に、老いた漁師は旅人の私の姿を気に止める様子もなく、黙々と魚網を繕っていました。浜の傍らには風化した木製の案内板が一つ立っていて、そこには「名勝 浄土が浜」という文字とともに、かつてこの地に大津波が押し寄せ村人を襲ったことが記されていました。その時の津波は浜辺を三方で覆う、高さ30メートル余りもあると思われる断崖の上端まで押し寄せた旨が書かれてあったと記憶しています。

 

 今から40数年前、私が学生だった秋の暮、東北地方を巡る一人旅に出て、上野からSLの夜汽車で花巻を経由し、遠野、釜石、宮古へと回った時でした。もう大分、昔のことなのですべてを覚えていませんが、都会で生まれ育った私はこの浄土が浜と呼ぶ三陸海岸の宮古の地に来て初めて、津波の実在を知ったのです。以来、三陸に寄せる地震や津波の情報を聞くたびに、あの美しい浄土が浜を思い浮かべました。そして今回、東北地方の海底から湧き起った津波が、かの小さな浜辺を呑み込み松が生い茂る断崖に叩きつけたであろうことを思うと、絶句せざるを得ません。

 

 宮古の地を訪ねてから長い年月が経ち、その間、関東の地で遭遇した震度5前後の揺れは数回、経験しましたが、今回の東北地方を襲った地震で何よりも驚いたことは、市街地全体を一瞬の間に呑み込んだ恐るべき津波の威力でした。単に地震だけでなく、地震によって誘発された津波が猛威を奮い、人々や家屋、そして沢山の施設やクルマを濁流の中に包み込んだのです。この見るも無残な惨状を見て今更、もの申したところで無力に等しいことですが、何故にもっと津波対策を施していなかったのだろうか? と、改めて思わざるを得ません。

 三陸沖で起きた津波はこれまでも何度となくあった筈だし、専門家の間でもある程度は予測されていたと思います。その意味で、今回の大津波は「起こるべくして起きた」と、素人ながら考えざるを得ません。そしてまた、このような震災は再び「起こるべくして起きる」のではないかと思います。今回は被災地が比較的、人口密度の低い地域でしたが、これが東京や横浜など大都市で発生していたならば、もはや鉄道やエレベーターが作動しないという程度では済まされない、それこそ日本が沈没しかねない事態に遭遇することになるでしょう。

 

 今回の地震と津波を「地殻変動」という地球物理的観点から理解するだけでなく、私たち日本人に、そして私たち地球上に生きる人間に、一つの啓示を携えて押し寄せたものと捉えることも、また大切なことではないかと思います。地球上の自然を粗末に扱い、海岸をひたすらに埋め立て街造りを進めていく傍若無人な開発に奔走する人間に、それこそ地の神が天誅を下したとも考えられます。

 奇しくも、ニュージーランドと経度が近い地球上の北と南の半球で発生した大地震を省みるとき、今、地球が怒っているのかも知れません。だから私たち人間は、もっと天然自然の生命の息吹に耳を傾け、もしも大地に神様がいるのであれば、その声を聞こうとする心を養うべきではないかと思います。そして現代に生きる私たちにとって要請されていることは、大自然との秩序ある共生とともに、家族や地域、職場はもちろんのこと、それ以外の世界中の多くの友人、知人との心の連帯だと考えます。

 

  最後になりましたが、このたびの震災で犠牲になられた数多くの方々並びに被災者の皆様に、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 合掌

  <2011年3月 フーミン農園ブログに掲載>

「自転車利用」と「駐輪対策」

 

 もうじき5月の「自転車月間」が始まる。「自転車月間」は、およそ20年前の1981年(昭和56年)5月に「自転車の安全利用の促進及び自転車等の駐車対策の総合的推進に関する法律=自転車基本法」が施行されたことにちなみ国が定めた行事で、自転車が健康的で環境に優しい乗り物だから、その利用の促進を図ろうと、毎年、全国各地で自転車にまつわるさまざまな催しが繰り広げられてきている。

 それにしても、安くて便利な庶民の足である自転車の利用について、いつも私たちの頭を悩ませている問題は、都市部における目にあまる駐輪の実態である。駅をメインとした町の中心街は、いつも自転車が狭い歩道を塞いでおり、このため行政は多大な労力と費用を投じて駐輪対策に取り組んでいるものの、必ずしも十分な成果があがっているとはいえない。

 私が住む東京の特別区でも「自転車等放置防止条例=自転車条例」が制定され、駐輪場の整備をはじめ放置自転車の撤去、一時的管理・保管などの諸対策が講じられている。しかし、条例違反車を撤去しても、またしばらく日時が経過すれば、自転車は町に溢れ出し、取締り側と自転車利用者側の“イタチごっこ”が繰り返されている。

 なぜ成果があがらないか? 答えは簡単である。現行の「自転車条例」が、あまりにも駐輪対策に偏っているあまり、肝心な自転車の利用、促進の視点が欠落しているからである。取締りの強化と駐輪場の確保が、すなわち自転車の利用、適正化に通じるという論理の飛躍、加えてごちゃ混ぜの施策の過ちに、行政は気付いていないのである。

 多くの地方公共団体が自転車の「利用促進」と「駐輪対策」を混同しながら、唯一「自転車条例」を錦の御旗に、十年一日のごとく「放置」→「違反」→「撤去」→「保管」という図式で、現場の対応に追われているばかりだ。しかも条例文は、自転車を利用する者をまるで悪者、邪魔者のように表現したうえ、「警告」、「即時撤去」、「処分」などといった、実に聞き苦しい用語群で満たされている。

 条例違反は、確かに悪いことに違いない。しかし、自宅から自転車で街へ出て、役所や銀行や店舗で用事や買い物を済ませたり、通勤・通学の便に活用することが平常に行えることこそ、市民生活の自然の姿ではなかろうか。

 いまや市民の足でもある自転車の駐輪に際し、駐輪登録料・使用料など金銭的負担を課せ、その反面、オートバイの違法駐車には「管轄以外」とし、いつまでも手をこまねきながら、市民生活優先の快適な町づくり、そのための都市計画プランを策定、実行し得ない行政の取り組みにこそ問題があるといえないか。

 市民生活や交通手段の変化など時代の新しい流れを省みることなく、条例を逸脱した自転車の利用は、すべて社会ルールやマナーを無視した違法者という論法だけでは、現状の違法駐輪、放置がなくなるとは思えないし、真の自転車利用の道は改善の方向で進展しないであろう。

 以上の観点から、政府ならびに地方公共団体は、市民に対し負担と強要を強いる「自転車条例」の改正を視野に入れた自転車総合対策の見直しと、時代の価値観の変化に対応した町づくり、そのための都市環境の整備を促したい。<2002年4月 執筆> 

自転車も安全な道が欲しい

サイクルスポーツ育成に理解を

 

 5月は自転車月間である。この季節、国際級のロードレースをはじめ老若男女が集う市民レベルの草レースに至るまで、全国各地でサイクルスポーツの祭典が繰り広げられている。また、旅の荷物をサイクリングバックに詰めた若者は、燃え盛る新緑の光と風の中を山や海へと繰り出す。

 そうしたサイクリングの楽しさ、快適さを求める人たちがここ数年、増え続けている。自転車を単に買い物や通勤の足と考えるのではなく、旅行やスポーツの道具としてとらえる意識が浸透してきたのである。まさにジョギングに続く大衆スポーツとしての“サイクル・ジョギング”の時代が到来しつつある。

 しかし、今後さらにサイクリング、そしてサイクルスポーツを振興、普及していくためには、どうしても解決しなければならない課題がひとつある。すなわち、自転車は一体どこを走るのか--という、極めて単純にして素朴ながら、しかし容易ならざる問題である。そして問題解決の糸口は、道路および交通を管理し、取り締まる当局の「自転車は危険!」という自転車に対する一種、偏見にも似た無知識、無理解を改めることにある。

 たとえ欧米並みにスポーツ用自転車が各階層に普及し、台数が増えてきたところで、今日の日本は自転車が安全に走れるような交通体系になってはいない。せっかくのサイクリング専用ロードも道幅は狭く、距離的にも短いコースばかりだ。ましてや街の一般道路では歩道上を白線で二分しただけの「自転車歩行者道」と呼ぶ、まったくのご都合主義的な通路に過ぎず、誰しも経験するように歩行者と自転車のトラブルが常につきまとっている。ちなみに、道路交通法の改正に伴う自転車の歩道上への乗り上げによってもたらされたものは、安全性の確保よりも人と人との摩擦、それら多くの弊害ではなかろうか。

 それでは車道へと出てみれば、至るところクルマの違反駐車だらけで、そのたびに自転車は止まったり中央車線よりに出て、たびたび冷や汗をかく始末となる。従って自転車は歩道へ、しかし歩道上は文字通り歩行者が優先だから、結局はどこも走れなくなってしまう。自転車道は昭和50年代に入って急速に整備されたというが、自転車道の総延長約4万㌔のうち90%以上を白線分割路で占めているのが実態である。

 一方、車道はガソリン税など自動車関係の税収によって整備されたのだという、いかにももっともらしい議論がまかり通っているが、これとても我々サイクリストの立場で考えれば、かってに道路走行を占有化する屁理屈にしか映らない。本来、国土は国民に等しく解放されたスペースとして与えられているにもかかわらず、なぜか道路だけが整備主体であるクルマの優先地帯と決めつけているのは、実におかしな話と言わねばならない。狭い国土に数多くの人間がひしめき合う日本であればこそ、なおさら社会資本という国民の共有財産に特定の優先権や特権化を与えてはなるまい。

 そして取り締まり当局は、法を盾にやたら規制権限を発揮するばかりでなく、今の国民にとって何が必要であり、何を国民が要望しているかという視点に立って、交通体系全体を考慮しなければならないのではないか。法律を改正せよというわけではないが、例えば幹線道路など二輪車車線がすでにある道路ではクルマの駐車を厳禁し、自転車が安心して走れるスペースを確保してほしい。いずれにしてもクルマ優先社会の反省の上に立って、クルマも自転車も歩行者も共有できる道路交通体系の確立を願ってやまない。

<1985年5月20日付け朝日新聞「論壇」に掲載>